初めての方へ
ご挨拶
私は学生時代から結婚という人生最大の幸せの舞台を見てきました。
学生時代は結婚式場(目黒雅叙園:現在「ホテル雅叙園東京」)でアルバイトをしました。
社会人では副業で結婚披露宴の司会者をしました。
「人の幸せに貢献したい」という思いを持っていました。
しかし、自分の幸せ(結婚)はなかなか訪れず、35歳から婚活を始めて7年間経て結婚しました。
7年間の婚活で2つの結婚相談所に入会しました。
1つ目の結婚相談所では交際になっても結婚に至らず、年齢制限(40歳)に到達し、強制退会となりました。
そのとき、父親のがんが見つかり、がん治療が開始しました。
2つ目の結婚相談所で私はカリスマ仲人との出会い、結婚相談所入会した5カ月目に成婚退会しました。
しかし、父親は奥さんの見合い写真を見た2週間後に成婚を知ることなく亡くなりました。
結婚は本人だけでなく、家族や周りの人を幸せにします。
私は7年間の婚活と息子の結婚を望む父親との関わりを踏まえて
「お見合い結婚をする人たちとその家族の幸せに貢献したい」という思いから成婚のサポートをしています。
代表木村 直樹
活動理念
成婚とは結婚を諦めなかった結果である
私たちの成婚活動は入会後6か月でプロポーズ受諾を目指します。
しかし、私の経験上、全員が入会後6か月で成婚退会となる訳ではありません。
2つの結婚相談所を経験して、結婚を諦めなければ奇跡は起こります。
私自身が1度結婚を諦めました。2度目の婚活で結婚することができました。
2つの結婚相談所に所属して私の婚活期間を超えて成婚退会した方を見ています。
婚活で大事なことは「結婚を諦めないこと」「婚活を継続すること」です。
「結婚を諦めず婚活を継続する人たち」に二人三脚で成婚のサポートをしていきます。
代表プロフィール
木村 直樹 NAOKI KIMURA
アオキ マリッジサポート オフィス
代表/婚活カウンセラー/福生の仲人
1965年生まれ 東京都福生市出身
駒澤大学 経済学部商学科卒業
【大学生】
1985年「結婚式場 目黒雅叙園」でアルバイト中に、結婚披露宴のお開きで新婦のお父様が涙している姿を見て「家族の幸せ」に感動する。
【社会人・司会者】
1989年大正製薬に入社し、営業サポート部門に勤務する。
1992年友人の結婚披露宴で司会をしたことがきっかけに、ラジオ短波のアナウンス教室、フリーアナウンサー押坂忍さんのアナウンス学校に通う。1995年結婚式場にピアノ奏者を派遣する音楽事務所所属の結婚披露宴のプロ司会者に。その後音楽事務所が倒産し、結婚披露宴司会者を廃業する。
【婚活・結婚】
2000年(35歳)「データ登録マッチングタイプ」の結婚相談所(恵比寿)に入会する。毎月女性2名紹介(写真・プロフィール記載)、婚活パーティーに参加し、婚活を開始する。
2005年(40歳)結婚できずに5年間在籍した結婚相談所を退会する。
(データ登録マッチングタイプの結婚相談所規定:男性40歳到達時、未婚の場合は退会)
2007年(42歳)末期がんであった父親の生きることを諦めない姿勢に奮起し、婚活を再開、夫婦で経営する結婚相談所(立川)に入会する。結婚相談所に入会した3か月後、父親は逝去する。父親が逝去した2か月後、年間30組以上を成婚させるカリスマ仲人のアドバイスを受け、結婚相談所入会の5か月目に今の奥さんにプロポーズし、受諾される。
2008年(43歳)父親が逝去した1年後に結婚式を行う。
【婚活仲人ボランティア・結婚相談所開業】
2014年結婚相談所団体に入会し、ボランティアで婚活仲人を始める。
結婚相談所業界の知識を得て、6年間婚活アドバイザーの経験を積む。
2020年大正製薬を退社し、14年間の婚活に関する知識と経験を基に、結婚相談所を開業する。入会後の会員に対する目標は「6か月成婚、1年結婚」とし、『結婚』によって「家族の幸せ」と「新しい人生を歩み始めること」を導く。
プロポーズが受諾された成婚後は、元プロ司会者から見た結婚披露宴のアドバイス、結婚後の新生活のアドバイスなど7つのコミュニケーションを通して『婚活から始まる一生付き合う結婚相談所』を掲げ、夫婦の困難が生じたときは相談に応じ、「成婚会員の離婚0ゼロ」を目指している。
○仲人カウンセラー(日本結婚相談所連盟/IBJ発行)
加盟団体サイト・当相談所SNS
相談所 概要
名称 | アオキ マリッジサポート オフィス |
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代表者 | 木村 直樹 |
所在地 | 〒197-0003 東京都 福生市 熊川 |
TEL | 042-552-1319 |
受付時間 | 12:00~19:00 |
事業内容 | 結婚相談事業 |